真っ赤なブレスレット〜IF〜

もしも朝夏遠子以外のPCがあのシナリオを遊んだとしたら?を考えてみるPLのお遊び。

土代憂/向坂三幸/椿玲司

※シナリオ「真っ赤なブレスレット」の重大なネタバレがあります。

 

 

◯土代憂の場合

古関の日記の内容を、それまで感じていた違和感と結びつけて現実として有り得るものとして受け止める。凌斗の死という可能性に悲しみを感じる一方で、ならば最期は安らかに逝ってほしいと考えるようになる。日記から読み取れる古関の憔悴度合いから彼女が既に亡くなっている可能性は考慮に入れるが、凌斗の「会いたい」という気持ちを尊重して協力する。

古関の遺体を見つけた時に湧き上がる感情は一抹の悲しみと諦めである(寺という死に近しい環境で生きてきたがゆえに、遺族の悲しみに触れる機会は一般的なひとよりも多かったと思われる)。亡骸を抱えて泣く凌斗に対して暫くはそっと見守っている。そして頃合いを見計らって凌斗と対話を試みる。彼が今何を考え、どんな感情を抱き、どうしたいと思っているのか。それを言葉として態度として解した上で、呪文や日記に書かれていた内容を一切知らせずに、凌斗にこれからどうしたいかを聞く。もしも凌斗が呪文や日記の内容を何らかの形で知ってしまった場合でも、なるべく彼が言葉を尽くす機会を設ける。そうして、古関を蘇らせることこそが凌斗の揺るぎない希望であることを確認する。

彼の選択は「古関を一度蘇らせ、期限付きの逢瀬を過ごしてもらった後に二人ともを一緒に逝かせる」ことである。これは、凌斗を幽霊のような存在と認識しており、心残りを満足しないと安らかに逝けないものと判断している為である。蘇らせるにあたり期限を設ける点について凌斗がどのような反応を見せるかはともかく、土代の希望は、最終的な死は不可避であるとした上でなるべく充足した死を迎えてもらうことである。

「おれは、たとえ死んで生き返ったんだとしても、最期におまえと話せてよかったと思う。」


◯向坂三幸の場合

古関の日記に書かれていた内容を理解することを心が拒否したがる。ただ、クトゥルフ神話技能が11%あることや、過去に複数の怪異現象に遭遇しているため完全に否定しきることも出来ず、そういった直感を強い感情で拒絶するために大変苦しい状態に自ら陥る。

「凌斗さんが死んでいるなんて、そんなことあるわけない…!!
 だって今ここで…俺の前で生きて、動いて、喋っているじゃないか。」

凌斗の死という可能性を否定してもらうために他人の証言を得ようとする。古関を探す一番大きな動機は、古関に日記の内容を否定してもらうことである。向坂自身は日記および呪文のメモの存在を全否定したいため凌斗に見せることはない。

古関の死を確認した後、凌斗がどのような言葉で向坂にアプローチするかにもよるものの、恐らく向坂の取る行動で最も悲劇的な選択肢は「凌斗が呪文によって生き返った存在であることを否定するために、自ら逆呪文を唱えて彼が灰に戻らないことを確認しようとする」ことだと思われる。古関が呪文によって生き返ってしまうと凌斗の死を認めることになってしまうため、向坂は凌斗に乞われても彼女を生き返らせることはしたがらない。

逆呪文を唱える選択に至った場合、凌斗が灰に返ったのを見て呆然とその場にへたり込み、自らの行ったことの絶望的な結末に動けずにいるだろう。


◯椿玲司の場合(「思考実験室」以前)

古関の日記を読んだ時点では真に現実だとは思っていない。状況への違和感はありつつも、彼女の妄想ではないか、という考えが残っている。呪文の書かれた紙を見つけても同様で、「凌斗が既に亡くなっている」という確証が得られなければ認めないという姿勢で行動する。

古関藍こそが全てを知っていると思い捜索するが、件の崖の下で既に彼女が亡くなっていると知り、悔しさとともに憤りを覚える。古関が自分の意志で自殺したのではないかとの疑いも持つ。この時点では自殺か他殺か、事件性の有無についても椿自身には判断しかねるため、日記や呪文などの資料は凌斗へ見せずに警察へ電話する。

「…少なくとも、海の藻屑になる前に見つけられてよかった。そう思え。
 お前、このまま彼女の遺体を供養もせずに放っておくつもりか。」

と、自らの良識に則って凌斗に故人を弔うように促す。もしも凌斗が「一緒に死にたい」などと言い出したら無理やりでも引きずって帰る。この場では(少なくとも椿の意志としては)彼が目の前で死ぬことは許容できない。場合によっては胸ぐら掴んで全力の信用ロール×STR対抗を振る構え。

(可能性は低いとは思うものの、)もしも無事に連れて帰ることが叶ったなら、現場検証や古関の葬式も終えて落ち着いた頃にもう一度凌斗と話し合う。ここに至ってようやく資料を開示する選択が起こり得る。事件当日以降に落ち着いて資料を見直して、可能性としてはこのような謎の存在も有り得るということを(許容したくないものの)可能性としての存在は許容しなければならないと考えるため。実際にどのような会話になるか、それによってどういう選択を行うかは状況次第。